【スーパーカブ】妻が良いと言ったから、スーパーカブができました

本田宗一郎は、2人の「妻」によってスーパーカブを生み出した。

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本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (本田宗一郎/日経ビジネス人文庫)

ざっくり言うと

  1. ホンダはバイクから始まっている。
  2. バイクが生まれたのは正妻、「さち夫人」のおかげ。
  3. スーパーカブが生まれたのは、2人目の妻、「藤澤武夫」のおかげ。


ホンダ


いまでこそホンダといえば車のイメージがあるが、ホンダはもともと二輪車から始まっている。


創業者の本田宗一郎は「おやっさん」と呼ばれ、常に工場に出向いては床にチョークで部品の設計図を書いては自ら若手に激を飛ばし現場を率いた名経営者である。


彼の生涯を紐解く方法はいくつかあるが、今回は「本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (本田宗一郎/日経ビジネス人文庫)」からバイク誕生のエピソードをお届けしたい。


個人的には小さなころから車にあこがれ、19歳で始めて買った車が92年式シビック(EG6)だったので、思い入れがある。実家の車もステップワゴンなので、ホンダだらけである。



正妻、さち夫人


本田宗一郎は根っからの遊び人気質。若い頃は当時珍しかった自動車整備で儲けては夜遊びを繰り返していた。私の履歴書には、飲酒運転で車ごと天竜川に落ちる衝撃エピソードも残っている。


そんな彼を支えたのが正妻、さち夫人である。浮気症で仕事熱心、家には全然返ってこないしお金も入れない本田宗一郎を持ち前の肝っ玉で支えた。


1945年、終戦を迎えてトヨタにピストンリングを製造していた事業を東海織機に売却、実はトヨタの部品メーカーだったホンダはその事業を売却し、次なる一手を探し求めていた。


薬局でかったアルコールからお酒を作り、毎日遊び呆ける本田宗一郎は、ある日ある日友人宅で小さなエンジンに出会う。旧陸軍の無線機エンジンを見て、本田宗一郎はこれを自転車につけてはどうかと考えを膨らませた。


戦後劣悪な日本の交通事情の中で、日常の足は自転車であった。だが自転車での輸送には限界があり、自転車に補助エンジンを付ける発明は、当時の日本では大変貴重な発明であった。


本田宗一郎は早速、補助エンジンのを自転車に取り付けられないか開発に取り掛かる。家にあった湯たんぽを、燃料タンクにした。実験台はさち夫人。さち夫人はいつも家庭をほったらかしにする本田宗一郎へのある種の報復として、こんなエピソードを残している。


買い物に行くのが大変そうだからって変なものを作り始めてたけど、結局私は実験台。だからバイクに乗らされて表通りを走る時は、必ず一張羅のモンペで乗りましたよ。すると家に帰ってくる頃には油でベットリ。これじゃあだめだよと父さんに言うと、いつもは「うるさい、だまってろ!」なのに珍しく「うむ、これではだめだなあ」としょんぼりしてましたよ。

原因はキャブレター空の混合油の吹き返し。製品版は汚れを防ぐ改良がしっかり施された。大変な評判になり、大ヒットした。


やがて1949年、大ヒットした資金を元手に補助エンジン付き自転車ではなく、オートバイとして名車「ドリーム号」を作り上げる。ホンダのバイクのロゴには、今もドリーム号の名残がある。


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honda公式



2人目の「妻」藤澤武夫


さて、本田宗一郎にはもうひとり女房役がいた。藤澤武夫である。


本田技研は2人で出来ていた。技術の本田宗一郎と、財務の藤澤武夫である。2人は互いを尊敬しあい、特に企業が大きくなってから年に数回しか会わない仲であったが、それぞれが両輪として欠かせない存在となっていた。ちなみに両方同時に退任している。


スーパーカブは藤澤武夫が本田宗一郎をけしかけて製作させた。


1956年、ドイツとイタリアの視察旅行の行きの飛行機で、藤澤は本田に水を向けた。「社長。どうしても50ccだ。カブのように自転車にエンジンを取り付けるだけじゃだめだ。ボディぐるみでやってくれないか」


「そんな、50ccで車をつくるなんて、、」と否定的な本田。


「これがなきゃ、本田技研はそうそう発展しないもんだと思いますよ。」と藤澤。


欧州の旅でなんども勧める声に押され、本田はしかたなくエンジンの製作に取り掛かった。


本田のスタイルは工場の床に直接チョークで設計を書き、議論する。あっという間にエンジンの設計が出来上がる。ほとんど大道芸人である。


模型ができたところで、本田は藤澤を呼んだ。藤澤は販売目標を聞かれ、「うーん3万台だな。」と答えた。


「年3万台か、やったあ」と喜ぶ所員たち。


「バカ言え、月3万台だ」と藤澤。


藤澤には勝算があった。藤澤はスーパーカブの販売価格を前もって本田に提示していた。55,000円。月1,000台だとコスト割れする価格である。だが、月30,000台だと採算が合う。本田は持ち前のデザインセンスで女性にもヒットするデザインになっており、戦略的低価格で市場を席巻できると踏んでいた。


藤澤は販売にあたって、ダイレクトメール作戦を展開した。オートバイ店や自転車店に加え、無縁の材木商、乾物屋、しいたけの栽培業者など異業種にも呼びかけて全国で1,500店の販売ネットワークを構築した。これはアフターサービスが必要なオートバイの販売を見越して、予め地域密着で販売網を構築しておいたのである。


また藤澤は芸術家や音楽家と交流があった。その中で数々のキャッチコピーを生み出す。「ソバも元気だおっかさん」は当時大ヒットした名キャッチコピーのひとつである。


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本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (本田宗一郎/日経ビジネス人文庫)


スーパーカブは米国進出でもキラー製品となり、世界で最も売れたオートバイとしてギネス記録となっている。



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