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【サイモン】社会制度における合理性追求とメディアに騙されないために


ざっくり言うと

  1. 「人間活動における理性」最終回。サイモンの守備範囲に脱帽。
  2. 社会制度で人間の限定合理性を克服する。
  3. メディアと専門家気取りががもたらす情報のバイアスに注意。


人間活動における理性


経済学の巨人、ハーバート=サイモンの「人間活動における理性」の第三回(最終回)である。


訳者の山形浩生氏自身もすでに要約を書いていて、よりざっくりとした理解で良いならば下記を参照いただきたい。


ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』アンチョコ


第一回は合理性に関して4つのモデルを提示した。


【ハーバート=サイモン】人間はどうやれば合理的な選択を行えるのか(Reason in Human Affairs)


超人モデル・行動モデル・直感モデル・進化適応モデルのうち、経済学は超人モデルに偏っていて現実味がないことを指摘。


リアリティがある合理性モデルとして4つめの進化適応モデルを提示しており、これが第二回に当たる。


【サイモン】進化論と企業の合理性追求の奇妙な類似


今回は人間の限定合理性を克服するために社会制度がどのように働いているのか、そして社会制度からどのように人間が影響を受けているかを説く。3回に渡る解説のうち、一番身近なテーマになるだろう。



社会制度による限定合理性の克服


人は個人ではなく、集団で生活している。そのため、完全に利己的に、ルール無用で生活すると人間としての集団全体は合理性とはおよそほど遠い状態に陥る。


たとえば良い日差しの自分の部屋の前に高層マンションが立って日差しが悪くなってしまったら、自分の部屋の価値は毀損されてしまう。このためにたとえば社会制度は高層階を建てる場所を限定したり、建物の色を限定したりする。


地球規模で言えば生まれた場所がもたらす社会的不公平さは尋常では無い。国連は可能な限り不公平の問題に積極的に取り組んでいる。


こうした人間がコントロール不能な予期せぬ価値の変動要因を外部性と呼ぶ。外部性は人間の限定合理性を規定する存在そのものであり、限定合理性を改善するために社会制度がある。


しかし社会制度そのものにも限界が存在する。関心の限界、多様な価値観、不確実性である。


関心の限界とは一度に一つのトピックに関心を寄せるしか制度的に対応が出来無いことを指す。定常的な公共サービスは並列で行える。たとえば消防と警察は並列で稼働できる。しかし外交の問題や経済政策の問題など、定常的でない問題は一つずつしか対応できない。


多様な価値観とは、結局人によって満足できる水準がばらばらなので、ある程度満足な社会厚生しか実現できないことを指す。どこかで個人の希望は個人で叶えるしか無いのだ。アメリカン・ドリーム。


不確実性とは、選択肢のどれが実際に合理性の水準を引き上げるのかがわからないことを指す。旅行業界に直接給付金を上げたほうが良いのか、GOTOトラベルの景気刺激策が良いのかは、コロナの感染状況や旅行業界の内部留保に応じて判断する必要があるが、確率を厳密に検討することはできない。ある程度不確実性を許容した上でエイヤと決める必要がある。


社会制度で限定合理性を解決する典型的な支援ツールが存在する。専門組織と市場メカニズム、裁判などの対審手順、AIやコンピュータの支援ツールである。いずれも様々な点から限定合理性を支える。



メディアと専門家の影響


社会制度が限定合理性を生むためには適切な情報が必要だが、現代はメディアと専門家に課題がある。ゴミ情報からはゴミしか生み出せないのだ。


1つ目はメディアである。メディアは自身の利益になる情報を出したがるバイアスがかかる。バイデン勝利を伝えたがるメディアが典型的であろう。世論調査などもメディアで大幅に差が出る。


2つ目は専門家だ。専門家は通常限定合理性を支援するが、自身の信念や専門家自身の限定合理性が働き、必ずしもベストな結果をもたらすとは限らない。むしろ権力となって悪影響をもたらす場合がある。現在の日本学術会議は典型的な腐敗例と言えるかもしれない。



結論


理性は人間の合理性を改善してくれるツールであるが、理性そのものが答えを知っているわけではない。絶対的な最適解にたどり着くことは不可能であると自覚する必要がある。だが悲観的になる必要はない。人間の限定合理性を認識した上で、適切な情報を得て満足できる合理化を求め続ければ、概ね満足できる水準に達するものだ。幸い、人間は社会制度やコンピュータ、直観といったツールを用いることで、満足の水準を引き上げることができ始めている。