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【サイモン】進化論と企業の合理性追求の奇妙な類似


ざっくり言うと

  1. 「人間活動における理性」第二回。訳者の山形浩生氏自身が要約をブログで公開。
  2. 本当の進化論を詳しく。単なる適者生存ではなく、ニッチの生存領域にも言及。
  3. 結局企業の合理性追求もローカルピークに過ぎず、本当の大局的なピークには登れていない?


人間活動における理性


経済学の巨人、ハーバート=サイモンの「人間活動における理性」の第二回である。


実は第二回を書いている時に訳者の山形浩生氏自身がブログで要約を公開しているが、こちらではわかりやすさを重視して書きたいと思う。


ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』アンチョコ


前回は合理性に関して4つのモデルを提示した。


【ハーバート=サイモン】人間はどうやれば合理的な選択を行えるのか(Reason in Human Affairs)


超人モデル・行動モデル・直感モデル・進化適応モデルのうち、経済学は超人モデルに偏っていて現実味がないことを指摘。


リアリティがある合理性モデルとして4つめの進化適応モデルを提示しているが、今回はこの詳細にあたる。


有名なダーウィンの進化論であるが、まずは進化論の詳細から入り、合理性の話にきれいに繋がっていく。



ほんとうの進化論


進化論的な合理性モデルは、企業の成長過程の正当性は、企業が生き残った事実にあるとする、「あたかも合理的に振る舞うと、実際に合理的に振る舞えるのだ」という結果からの正当化である。


変化し、結果として生き残ったものを進化と捉えるのはダーウィンの伝統的な進化論の仕組みである。


進化論では、生態系の一部分での生物の生き残り競争を想定している。


他の種類よりも自分の種の変化が適応すれば、他の種より数で圧倒でき、やがてその生態系は自分の種だけが残る。


だが地球を見てみると分かる通り、生物は現在もあまりに多くの種類が生き残っており、さらに遺伝子の配列を考えると今後もありとあらゆる変化が期待できそうである。


現実の生態系は多くのニッチ(すきま)があり、生物たちは共存し生き残っているのだ。


たとえば、植物は光合成を行う。動物は光合成で生まれた酸素を吸っている。フンは植物にとって肥料となる。


単なる生存競争ではない、共存の関係が生まれるのである。


人間社会に進化論を当てはめてみると、生物学的には人間の世代数は不足しているので生物的な変化はあまりないものの、社会文化という観点で進化が行われている。


人間社会は文化の伝搬という形で共存関係が生まれているのだ。企業競争の共存関係も生態系の共存関係に類似する。



ローカルピーク


進化論は利己的な行動をベースに考えられているが、植物の一部や人間においても、利他的な行動によって同種の繁栄をサポートする仕組みがある。


ミクロな世界の合理化の観点では利己的な生き方が正しいはずだが、社会として見ると利他的な行動の組み合わせが利己的な行動よりも生き残る場合があるのだ。


この文脈で言えば、利他的に行動しつつ競争状態においては利己的に行動するという人間の社会における合理化の行動は、社会の進化に大いに役立っていると言える。


だが、進化には落とし穴がある。スピードが無いのだ。


合理化とはあらゆる要素を最適化する行動だが、進化は徐々にしか働かない。つまり、人間は、現世代の生物としての人間の限定的な視野の中で取れる選択肢の合理化を進めることしかできず、たとえ合理化ができたといってもローカルピーク(自分の中での合理化の頂上で、別にもっと最適化ができた高い山の頂上がある)に過ぎない可能性が高い。


生態系でも安定していたところに外来種、外的な影響が入ってしまうことで安定がいきなり失われることがある。(恐竜の絶滅やブラックバスなどを考えるとわかりやすい)


人間もいきなりエイリアンによって生態系が失われる危険があるのだ。


しかし前述したように、限定されている視野の中で合理化のベストプラクティスは、社会において利他的な行動を行いつつ、探求とカイゼンを続けることにある。


4つの合理化のイメージで言えば、2番目の行動モデルと4番目の進化適応モデルが近い。人間も企業も、できるだけ視野を広げながら、目先で合理化の行動を続けるほかないのである。