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【ハーバート=サイモン】人間はどうやれば合理的な選択を行えるのか(Reason in Human Affairs)


ざっくり言うと

  1. あらゆる学問に精通した天才学者、ハーバート=サイモンの現代まで精通する限定合理性に関する話。
  2. 理性の過信とヒトラー「我が闘争」の説得力。
  3. 合理性の考え方(超人モデル・行動モデル・直感モデル・進化適応モデル)


ハーバート=サイモン


多様かつ複雑な世の中で、人はいかに判断しているのか。


日々答えのない世界で人々はあーでもないこーでもないと考え、さまよい続ける。


という話がよく歌の歌詞に出てくるが、実際どうだろうか。


いつもいくスーパーで、それなりに安いかも、買っとこ、と思いながら商品を購入する。


たとえ自動車などの高級品でさえ、なんとなくミニバンがいいなと決めて、何社か見てみて決める。


人生の決断であっても、ある程度職業とか年齢でどれくらいまでチャレンジして、この年齢になったら落ち着くんだろうな、という見通しが立っている。


実は人は、意思決定のほとんどについて、全ての選択肢を考えた上で合理的に判断しているわけではない。むしろ完全合理性なんて、妄想かもしれない。でも逆に、まったく先が見えない、わけでもない。


ハーバート=サイモンは人間の実体験から整合的な、このある程度の合理性をもって意思決定する仕組みを経済学としてモデル化し、1978年にノーベル経済学賞を獲得した。


サイモン以前は、経営学は経営者がどのように仕入れや生産を決めるのかという意思決定は完全合理性を前提において考えられてきた。


サイモンがはじめて、人間の合理性の限界について実践的にモデリングを試みたのである。


今回紹介するのはそんなサイモンの1982年の「Reason in Human Affairs(人間活動における理性)」という講義資料である。


こちらはスタンフォード大学ハリーキャンプ記念講義で使用され、日本語の本も出ているが、和訳がひどいため今回は山形浩生が訳し直したPDF版を紹介する。



先に言っておくと、本資料は個人的に最難解であったが、ベスト評論であった。人間の合理的な意思決定に関してここまで多様な学問から援用して一つの議論にまとめあげるのは、おそらくサイモンただ一人しかできないであろう。


ただ議論が高度で豊富な前提知識を必要とするため、読み解くには大変苦労した。3回ずつ精読し、さらに2回の通読でやっと全文の意味をきっちり理解できた。


特にダーウィンの進化論から人間の合理的意思決定の議論をしている第二章は圧巻の出来である。一文を読むたびに「アハ」体験の連続。唸らせる。こんな議論ができるようになりたいものである。


おかげで現在、当方はサイモンがその身を賭して執筆した「 経営行動 」をむさぼり読んでいる。これはさらにすごいのだが、紹介は別記事にて。


今回はこの資料を読んでほしい、と思いつつも、当方でわかりやすく資料を説明していきたいと思う。


だが議論は深すぎて扱いきれないので今回は第一章「合理性のいろいろな見方」に絞る。



理性への過信とヒトラーの説得力


最初にサイモンは、現代において人間の理性にあまりに信頼が置かれすぎている状況をのべる。


理性は一見極めて健全に見える。だが、理性が機能するのは、前提をもとに推論を組み立てて何らかの見解や結論を出すときだけであり、決して絶対的なものではない、ということを指す。


たとえば、白い白鳥をいくつか見ることで、白鳥は白いものである、という見解を導くことができる。人間の理性はこれを構築し理解できるという、凄さがある。
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しかし、黒い白鳥が現れると、前提となる白い白鳥が崩れてしまう。
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これは悪魔の証明とも言われていて、「~である」という肯定的な見解は、必ず「~であるとは言えない」という見解に勝つことはできない。
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とすると、絶対に正しいと言える結論の導出はできない、ことになる。ここに限界が見える。

山形浩生公式ページ「人間活動における理性」第1章より意訳


理性はあくまで絶対に正しいとは言えない前提から何らかの確からしい結論を出す道具に過ぎず、過信は禁物だ。


この理性の過信と、理性が導く推論の美しさに大衆が心酔し、社会全体で熱を帯びてしまった例がナチス=ドイツであり、著書「我が闘争」に具体例を見出すことができる。


わが闘争では、いかにドイツ人がユダヤ人とマルクス主義に侵食され、ドイツ人が失った誇りを取り戻さなければならないかが熱く語られる。


現在我々はヒトラーの優生思想やユダヤ人排斥の動きが誤りであることを知っているが、もし当時のドイツ人の置かれた苦しい状況で、ヒトラーの熱量に共感した状態で聞いたならば、ヒトラーに心酔してしまうだろう。


ヒトラーが間違っているのは、ユダヤ人が諸悪の根源である、とか、ユダヤ人やマルクス主義者が不当にドイツ人を排斥しようとしている、という事実誤認にあり、前提から結論への導出は熱を帯びており美しいのだ。


インプットを間違えると間違ったアウトプットしか生み出さないのである。つまり理性の導きを正しくするには、正しい価値観を持つことが重要なのだ。



人間の合理性、4つのモデル


理性の活用に正しい価値観が必要ならば、現代あまたある多様な価値観の中から、人間はいかに理性を有効活用すればよいのか。


サイモンはこの理性の活用方法、すなわち人間が生み出す合理性に関して、4つのモデルを提示する。


主観的期待効用モデル(メリットを最大化するモデル)


まずは古典経済学で用いられる主観的期待効用モデルである。これはメリットが最大になるような選択を人は行う、という基本的なモデルである。


生産であれば効率、価格であれば安いものを選ぶ。


わかりやすいが、落とし穴がある。これは人間というよりも超人モデルなのだ。


主観的期待効用モデルでは、人間はあらゆる情報にアクセスでき、無数の選択肢をすべて検討した上で結論を出すという、とうてい不可能な前提に立つ。


実際、主観的期待効用モデルが現実にマッチしないのも、現実を極度に簡素化したモデルであったり、あらゆる情報にアクセスできるという局所性を無視した結果を吐き出すからであったりする。



行動主義モデル


前述の超人モデルに対抗する形で現れたのが、人間の合理性は状況や人間の計算力で大きく限定されていると考える行動主義的モデルである。


人間はある種限られた知識を生かしてなんとか生き延びており、その生命をつなぐために行動による情報の獲得を目指すというモデルである。


良い物件を探す時にも、人間は限定合理性に自覚的なので、スーモや大体住みたい地域を絞って選択する。


わからないなりに情報を簡素化して理解しようとする。



直観モデル


3つめはアハ体験、こと直観モデルである。


しばしば一種のひらめきが優れた結論を出すことがある。どこから来るかはわからないが、トイレやシャワー、散歩中の公園で出くわすらしい。


先行研究(といっても、1982年時点だが)によれば、人間が直観モデルを手に入れるにはある専門分野で10年が必要らしい。


芸術家や発明家、研究者やスティーブ=ジョブズがひらめくのも、日々たくさんの知識を蓄え、なぜかわからないが無意識のうちに直観的に優れた結論だを出せるらしい。



進化適応モデル


本講義資料で第二章以降特集するのが、ダーウィンの進化論に基づく進化適応モデルである。


これはある環境で変化し適応しようとしてきた生命体が、合理的であるかのようにふるまうことが合理性をもたらすという話である。


例えが難しいが、IBMに対してOSが作れるとハッタリをかまして契約を勝ち取り、MS-DOSを作り上げたマイクロソフトのエピソードは典型例かもしれない。


できるふりをしてできるように振る舞うと、本当にできるようになるという話である。


余談


前回の記事でも紹介したが、経営学者の藤本隆宏氏はサイモンを「経営学の話は大体サイモンに帰着するんだよなあ」と語っていた。


当方は大学時代藤本ゼミ生であったので、10回は聞いた気がする。


終電上等なゼミであったが、働き方改革で今は平和なゼミなのだろうか。