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【デカルト】誰もが疑わない疑問を持ったら、「我思う、ゆえに我あり」と心のなかで唱えよう

ざっくり言うと

  1. ナルシストの極みだが、嫌いになれない名著「方法序説」
  2. デカルトは一人で疑問に向きあい、「我思う、ゆえに我あり」を唱えることで真理を探求し続けた
  3. 組織の慣習や一般消費行動に対する疑問(≒往々にして起業のアイデアになる)など、自分だけが疑っている疑問が存在する時、その解決の合言葉は「我思うゆえに我あり」だ。


ナルシストの極みだが、嫌いになれない名著「方法序説」


方法序説、という本がある。


デカルトが1637年に公刊した。現代学問の基本となる真理の導き方「困難は分割せよ」や、近代哲学の起点を生んだ「我思う、故に我あり」の名言が記された、書籍にしておよそ100ページ程度の短い書である。


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方法序説(デカルト/岩波文庫)

この本を読んだきっかけは、私が熊本で高校生の頃、東進衛星予備校で国語の授業を担当していた林修先生が、「方法序説をバイブルにしている。人生で困った時、何度も読んでいる」と語っていたのを聞いた時である。普段は勉強の参考書や趣味の自動車の雑誌コーナーしか立ち寄らなかった自分が、初めて岩波文庫に手を出した瞬間である。


苦しながら文を追い、読破した後ももやもやしたのを覚えている。いかんせん、余計な文章が多いのと、17世紀当時の背景を知らないと読み解けない(幸い、岩波文庫では豊富な脚注がついている)。デカルトは一言でいえば時代に合わないナルシストだ。当時のわたしはデカルトを揶揄した。


この世で私と同じ疑問を持つ人が見当たらず、彼は人に議論をふっかけては失望、やがて議論そのものに見切りをつけ書を読みあさる。やがて書との対話が過去との対話にすぎないと見るや、流浪の旅に出て真理を見つけんとする。幸い真理が見つかったようだから良かったものの、傍からみれば面倒くさいナルシストである。当時は信仰こそが真理に近づく方法である、というスコラ哲学が正統派だったために、彼の生きづらさは想像を超えるものがある。


27歳、大学もとっくに卒業しエンジニアのキャリアを歩む今、なぜまたデカルトを振り返ろうと思ったか。一言でいれば、くすぶりはじめているからだ。誰もが疑わない疑問を持ちはじめ、だが疑問を解決する方法はなく、くすぶり続けている。ナルシストと揶揄していたデカルトに自分を投影したくなったのである。下記で読んだことのない読者のため、方法序説を簡単に紹介したい。



デカルトは一人で疑問に向きあい、「我思う、ゆえに我あり」を唱えることで真理を探求し続けた


この書の一つの功績に、哲学的思考の起点を提示したことにある。デカルトはすべてを「方法的懐疑」、すなわち真理に近づくために、あらゆる物事への真偽を問い、偽ならば棄却し続けることによって信憑性に欠ける見解を削ぎおとしていった。結果たどりついた言葉が、「我思う、故に我あり」である。

わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ 惟 ウ、故ニワレ 在 リ〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。
「方法序説」(デカルト著・岩波文庫)より引用

ここで重要なのは、デカルトは真理に近づくための終着点に達したようでいて、あくまで求めていた哲学の第一原理である、と示していることである。彼は物事を疑うために完全に真といえるものを求めた。自らを起点として、真理の旅を始める。


彼は方法的懐疑によって物事を真偽を見極める方法として、「困難は分割せよ」を始めとする4つの法則を設けた。

第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと
第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること

第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと
そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること
「方法序説」(デカルト著・岩波文庫)より引用

私としてはこの法則こそデカルトの成果だと思う。現代における問題解決方法そのものが、不変であることを示しているからである。未だ学問や仕事における問題解決の基本は上記法則を脱しない。



組織の慣習や一般消費行動に対する疑問(≒往々にして起業のアイデアになる)など、自分だけが疑っている疑問が存在する時、その解決の合言葉は「我思うゆえに我あり」だ。


現代において疑問を抱える若者は多く存在する。ついこの間飲んだ友人も、組織に疑問を抱えつつもくすぶっていた。誰もが疑わない疑問を抱えた時、自分は孤独になる。異端になる。支えを失う。見え方が変わる。解決したいが、いかんせん一人であり、くすぶる。


一般消費行動に疑問を持つ者も多い。なぜこの非効率がまかり通るのか。なぜ不便なのか。なぜもっと楽しめるようにならないのだろうか。なにか良い方法は無いか。ただしその疑問の所有者は、見渡す限りどうやら自分だけのようだ。人によっては起業のチャンスと考える者もいるだろう。


行動を起こす時、勇気をくれる言葉が欲しい。僕にとっては、「我思う、ゆえに我あり」だ。

参考


  • 方法序説 (岩波文庫)

    ','デカルトは最後に自分の寿命では解決できなかった課題を後世に託す、としている。そのバトンを受け取ったものがいるとすれば、それはニーチェであろう。','ちなみに読みにくいしナルシストだし違和感をおぼえること必至だが、100ページちょっとと短く読み切れる書である。



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